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宇宙蟹工船
系外銀河からやって来た「彼ら」は、法と民主主義のもとに経済戦争を仕掛けてきた。いま、人類破綻の前ぶれが第三惑星を旅立つ。
こくぶんじのみずのみどり
三億円事件の年(昭和43年)の国分寺を再現しています。漢字では「国分寺の水飲み鳥」です。
文化の違い


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★★BMC事務係のひとりごと★ 

 
BMC事務員、兼講師、兼塾長である私の主な業務は、講師陣のスケジュール調整です。このページタイトルを見て、すぐにピンときた方々も多いと思いますが・・・・・そ、そうなのです。私は「文化の壁」に日々ヤラれ、ヘコんでいる一人なのです。
 「我々日本人にとって、異文化理解は国際化に必要な課題である!」というのは簡単なことのよう・・・でも多くの人はそれを深く考えません。「文化が違う?OK、多少の事では驚かないようにしまーす?!」という感じです・・・が、そうは問屋も卸さないようです。
        
だいたい、この言葉そのものに大きな落とし穴ありです。「私達日本人は・・・」「日本では・・・」というな典型日本的英語表現で非日本人達とコミュニケーションを図ろうとしてきましたが、その都度、外人(ガイジン)達の表情が、ほぼ100%コワバルことに気づきました。が、何故??私の永遠の謎でした。

 つまり【私は日本人、あなたは外人?】が問題だったのです。こんな勝手な区分けをされても、彼らは困るのです。個人差はあっても、それが日本人だから、アメリカ人だから、まして外人だからというものではないべきだったのです。【ガイジングループ】に言わせますと、日本人であるということは私の構成要素のだだの一つであって、実際その他の何千、何万という要素で私は成り立っている・・・という事実があるのです。男であり、ブルーススプリングスティンの熱狂ファンであり、シャイであり?去年サンフランシスコに行った人の一人であり、既婚であり、一人の娘の父であり、その後離婚しまた一人になり、フライフィッシング好きであり・・・。日本人は、あっ!いや、私は!無意識のうち常に何らかのグループを意識のなかで勝手に形造り、私自信で私がその集団の一員であると信じこみ、他人までをもその集団の一員に仕立てあげてきたのです。これが典型日本人の発想です。この概念が大きなコミュニケーションギャップとなっているかもしれない?そのことに気づくまでに、はや10年の歳月が経ちました。

 そうだったのです。グループ社会で最も大切なことは「できるか?できないか?」です。例えば「明日4時にパーティするのですが来ていただくことできますか?」といった表現です。ところが個人社会で大事なことは「したいか?したくないか?」です。Do you want to come to my party? が丁寧な聞き方です。相手の意思を聞いているのですから。
 
 よい例として、日本人の意識の中には、「お願いは、できることなら聞いてあげるべきこと。お願いされなくても良かれと思うことはしてあげるべし。」という文化があります。だから逆に言うと、日本人は本当に必要なときにしかお願いしない。最後の最後までできるだけお願いしなくてすむように耐える文化です。ある集団の中で良い一員であるためには、グループの調和を乱す個人的都合、個人的意思はあとまわしにしなくてはならない文化です。たとえば、皆が8時に集まろう!といえば、自分は9時のほうがよくても、それが可能であれば、「OK大丈夫!」とするのが日本人ですし、どうしても8時が無理な場合は、無理だから(本当は行きたくても)「断念します。」となります。ところが、個人の社会では、「私は9時のほうがいい!」と主張すべき文化です。

 もうお察しいただけて、同情頂けますでしょうか?私の日々の仕事はこんな感じです・・・・しかし!自分がヘコンでいる場合では実はないのです。英会話の言語的スキルの修得ももちろん必要かつ重要なことですが、もっとコミュニケーションで大事なことはそういう所かも?という部分を何らかの形で皆に伝えたい!と思うこのごろです。(ちょっと今はまだ無理です)日本人が作る英語の構文は、文法的には正しい、が、相手の文化ではありえない腹立たしい表現であったりして相手を傷つけてしまいがちです。逆に、外国人が日本では考えられないような、村八分的利己主義で何かを頼んできても、怒りをこらえて「異文化」を理解し、寛容にしなくては!!
 参考までに、私が過去に講師陣からあまりいい評価を受けなかった言い回し語録を紹介します。

@「アメリカ人はやさしいなぁ!」
A「女性は子供がすきだから教えるのも上手ですね・・・(対女性の先生)」
B「日本人は時間に正確です。」
C「日本ではクリスマスも授業はします。仕事だから・・・」
D「あしたの忘年会はあなたもきてもらうことできますか?」
E「いくつ位で結婚したい?」

などが代表例です。

 そうそう、思い出しました。かつてスウェーデンのテニスプレイヤー、マッツヴィランデルが全豪オープンを17歳で初制覇したときに、記者から「ボルグ2世」(ボルグ=同じくスウェーデンの偉大な先輩プレイヤー:後半はボーリーと呼ばれてました)と評価されたときのこと。日本人だったら「まだまだそんな、えへへ・・・」となるところが、彼は喜ぶどころか一言、「私はヴィランデル1世です!」と言いました。その頃、私は彼が何を言いたいのか、何が不服なのかがさっぱりわからず「かっこいい、男らしいこと言うやつだぁ」くらいしか思っていませんでした。今、初めて、なぜ冷静で心の大きな彼がそんな言葉を発したのかが少し分かったような気もしています。そう、非日本人達は集団ではなく個人で生きているということを。スウェーデンの選手であり、トップスピナーであることは、彼個人の1つの要素でしかなかったのです。
 「アメリカ人は」、「日本人は」、「女性は」、「あなたの家族は」・・・はもはや完全に禁句。これは一例にすぎませんが、【文化の違い】は言語的知識を増やすことよりも、実はもっと重要な課題だといっても過言ではありません。リアルコミュニケーションのために・・・さあ、明日も頑張ります。

また機会があれば、つづきを書きたいと思います。